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2006/08/29 ミコノス島:エフカリストー


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朝9時にホテルを出る。
乗るべきアテネ行きフェリーは10時半の出航予定だから、随分と余裕がある。
街をゆっくりと見渡し、海沿いの考古学博物館に入って
土器の欠片やレリーフなどを眺めたりしつつ、
ぶらぶらと港まで来た(右下の地図、上方にある突堤)。

ゆったりとした朝だ。
日除けの下のベンチに腰を下ろし、太陽の輝く海を見ながら
ミコノス島との別れを静かに惜しむ。
ふと時計を見る。10時を回った頃だ。
どうも、様子がおかしい。
港の待合所に、人が誰もいないのだ。
船の来る気配がしない。
南のほうにある港に来るんだろうか?
否。昨日チケットを買った旅行代理店の人は「北のほうの港だ」と言っていた。
ティラ島からこの島に着いたときもこの港だったし、
ガイドブックを見ても「北のほうの港」といえば、ここしか載っていない。
しかし、この様子はおかしい。
リゾート真っ盛りのこの時期に、
ミコノス島-アテネ間の乗客が誰もいないなんて有り得ないのではないか。

ちょうど通りかかった港湾員に尋ねてみた。
「10時30分発のアテネ行きはここでいいですか?」
「・・・いや、ここからもっと北のほうにあるトゥロス港からだよ。道は海沿いにまっすぐ行けばいいけど・・・」
「!?・・・そこまでどのくらい離れてますか?」
「3kmくらいかな」
・・・3キロ・・・!
とりあえず礼を述べ、一路北へ向かう。

出航までの猶予は30分弱。
歩を進めながら様々な思考が去来する。
人体の平均的歩行速度はたしか時速4キロ程度だったか。
それではダメだ。間に合わない。
いやいや1000m走は5分くらいで走る。ならば15分・・・いや、3kmなんて走ったことなんてないぞ。
ペースダウンも見込んで20分強か?
しかし、この荷物(6〜7kg)で走り通すのは無理だろう。
さっきの港湾員にタクシー乗り場でも聞くべきだった。
いや、ギリシャに来た以上は、一度は心臓の破裂するくらい走ってみてもいいじゃないか。
マラトンの戦いで、伝令エウクレスだかフィリッピデスだかはそのように走ったのだ。
何も42.195kmも走るワケじゃない。たかが3kmじゃないか。
頭の中ではレッド・ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」が流れる。
アキレスは関係ないか。いや、そんなことはどうでもいいか。
この際、関係のあるなしが関係ないのだ。走らねば。
リズムに乗せて足を前に出す。シャツが汗でまとわりついて邪魔だ。脱ぐ。
しかし、持たない。これは持たんよ。エウクレスだかなんだか、あんたはやっぱり英雄だよ。
断言しよう。彼がもし俺だったら、アテネは訳もなくペルシャ軍に城門を開いただろう。
そして今日、マラソンなんて競技はなかっただろう。

何台かの車が北へと去っていく。
ヒッチ・ハイクか・・・それもいいな。いや、それがいいな。というか、それしかないな。
ヨタヨタと走りながら、車が来ては手を挙げる。
さらに数台の車が過ぎ去って行く。チッ。駄目か。
パタパタと一台の原付三輪が脇を過ぎていく・・・あの荷台に載せてくれないかなあ・・・
と、思った瞬間。
原付三輪が止まってくれた。
乗っているおっさんがこっちを見て、北のほうを指さして一言。
「Port?」
私が顎をカクンカウンと縦に振ると、
おっさんは無言のまま、親指で後ろの荷台を指した。あんた最高だよ。

車道の真ん中に止まった原付三輪に駆け寄り、荷台に足を掛けて乗り込
・・・もうとした瞬間。
後ろを見ると1台のライトバンが止まっている。
交通の邪魔になっていたようだ。
「これはイカン」と、私は私で慌てて乗り込もうとしたのだが、おっさんはおっさんで
そんな私よりも後ろのライトバンに先に気づいたらしく、
いきなりマシーンを路肩に向けて動かす。
それはほとんど同時だった。
乗り込もうとした私の体は、犬神家の変死体さながらに足を天に向け、路上へおもむろに転倒した。
しかし、そんなことは気にしていられないのだ。船が出てしまう。
頭を打ったり腕を車輪に潰されたりしなかっただけ幸運だ。
今一度、荷台に飛び乗っておっさんの肩を叩く。「It's OK! I'm ready」。

アスファルト敷きながらも、舗装が平坦ではないデコボコ道。
荷台は激しく揺れるが、昂ぶった神経にはこのくらいの刺激が丁度いい。
雄叫びを上げたくなるほどに、潮風が気持ちいい。

目的のトゥロス港では、船はすでに入港していたが乗船準備中で、
待合所にはたくさんの観光客が。間に合った。
おっさんの名前を聞いて、激しくお礼を述べた。
コスタス・シリアロスさん。本当にありがとう。
ギリシャ語で「ありがとう」は、「エフカリストーευχαριστω(ωの上に´)」という。
私の覚えた、数少ないギリシャ語の一つだ。

メインの写真は、走行中の原付三輪の荷台より。
右上は、コスタス・シリアロス氏とその原付三輪。

2003年7月4日

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