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2007/01/21 ブルージュ:聖母教会 内陣
光の降り注ぐ内陣。
祭壇の前に並ぶのは
ブルゴーニュ公シャルル1世(1433-1477)とその娘マリー(1457-1482)の棺。
ブルゴーニュ公国、中世の時代に現在でいうフランス北東部から
最盛期にはベネルクス三国、ドイツ北西部にかけてを領有していたが、
フランスとイギリスの間で行われた百年戦争(1337-1453)では
代々イギリス側に付いてきた過去などもあり、
このシャルル1在位時代も、フランスの統一を図っていたルイ11世と
(家系としてはどちらも同じヴァロワ家なので、言わば親戚同士みたいなものなのだろうけれども)
領土を巡って激しく対立していた。
また、野心家として知られ「突進王」の異名を持つ彼は
神聖ローマ帝国の皇帝の座を狙っていたとも言われている。
しかし野望は果たせずナンシー郊外にて戦死。
これによってブルゴーニュ地方は実質フランス領に併合されたが、
「ブルゴーニュ公」の称号は
娘マリーが婚約していた神聖ローマ帝国のマクシミリアン大公(オーストリア・ハプスブルク家)に引き継がれ、
ここフランドル地方を始めネーデルラント一帯はハプスブルク家の統治下に入る。
(とはいえ、当時のフランドルに住む人々にとっては他国から来たマクシミリアンよりも
シャルル1世の血を引くマリーのほうに強い思い入れがあったらしい)
その後、マクシミリアンは神聖ローマ皇帝に就任。
彼らの息子フィリップは後にスペイン・カスティリャ王女イサベル1世と結婚し、
スペイン・ハプスブルク家の礎を築き上げる。
そして更にそのフィリップとイサベルの間に生まれたのが、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)。
野望半ばにして倒れたブルゴーニュ公シャルル1世の執念は、娘マリーの血筋に引き継がれ
ひ孫の代にしてようやく結実したとも言えよう。
ん?何か分からないところでもあったか?
2004年8月25日
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