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2004/02/06 プラハ:だぁれだ?


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「肩車の朝」と同じくフラチャニ広場にて。
この日は旧チェコ・スロヴァキアの独立記念日。
隊列を為した軍人達が広場中央に整然と並び、誰だか偉い人(まさか大統領?)の話を拝聴している。
その光景を見させようと肩車してるのだけれども…。

チェコとスロヴァキアは既に分離しているのだが、
10年を経た今日も、旧チェコ・スロヴァキアの独立記念日は大切な日のようだ。

それも無理のない話。
両国とも、
長い歴史の殆どの間をポーランドやハンガリー、オーストリアなど
隣国の支配下に置かれてきたのだ。
旧チェコ・スロヴァキアの独立は1918年。
第1次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク家)が滅亡したことにより、
両国は協力しあって念願の独立を共に果たす。

しかし、それも長くは続かなかった。
1938年にはナチス・ドイツがチェコを併合、スロヴァキアを属国化し、これらを解体する。
戦後解放・再統一の後、
議会民主制に則ったうえで社会主義政権が樹立された唯一の国家として注目されるが、
「人の顔をした社会主義」なるスローガンを掲げた独自の政治路線は、
旧ソ連を中心とする東側諸国から度重なる批判・干渉を受け
1968年にはついにワルシャワ条約機構軍が軍事介入。
美しいプラハの街はまたも戦車に蹂躙される。

完全な民主化を迎えるのは1989年。
旧ソ連の崩壊や東西ドイツ統一の気運を背景に、市民は無血革命を断行。
その滑らかな体制移行は「ビロード革命」と呼ばれた。
これに続く1993年のチェコ・スロヴァキア分離は「ビロード分離*」とも。
支えあった両国が、真の独立を得たのはほんの10年前。
チェコもスロヴァキアも、重い歴史を背負う若い国家なのだ。

*首都機能をチェコのプラハに集中させていたのが
スロヴァキアにとって経済的に不利な状況を作り出していたということもあり、
スロヴァキア側から分離独立を求める声が特に強く出ていたという事情もある。

2002年10月28日

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