知られたことのない星座 > T.S.Gallery
( 前のページ : 次のページ )
2004/02/11 プラハ:カレル橋上の音楽家1
大道芸人や路上演奏家がひしめきあうカレル橋。
見たことのないナゾの楽器を演奏するおじいさん。
左手で何かをクルクル回しながら右手で弦を爪弾く。
写真では結構明るく見えるが、実際はもうフラッシュか三脚が必要になりそうな暗さ。
絞りを一杯に開いてもシャッタースピードは1/15秒くらいだったと記憶している。
逆光でもあるから明るさに余裕も持たせなければならない。
不用意に撮っては手ブレしてしまう。
それはもったいない。
このじいさん、実は私の親爺にすこぶる似ているのだ。
私自身はどうみても日本人顔なのだが、親爺は何故かこんな感じの顔だ。
ファインダーを覗いては顔を上げ、深呼吸で息を整えては構え直す。
膝をついていた右足を完全に折りたたみ、尻の下に敷いて
上体が揺るがないようにし、脇をぎゅっと締める。動くなよ俺!いくぞ!押すぞ!
いやいや仕切り直し…。
デジカメじゃないからその場ではちゃんと撮れたかどうか分からない。
でも個人的には、この緊張感がカメラの魅力の一つだと思っている。
こういう状況で撮ろうとするとき、
脳裡に浮かぶのは過去に冒した失敗、その悔しさだ。
二度とファインダーに捕らえられない瞬間をむざむざと台無しにしてしまう悔しさ。
出来るものなら二度と経験したくない、それでも何度となく起こりうるミステイク。
予期しない筋繊維一本の動きがコトの成否を決する。
目の前にいる演奏家とある意味で同じ。
指先一つの間違いでダウンだ。
「撮れたかな、ダメだった、じゃあ撮り直しポチッとな」では、
期待して撮った写真が失敗だったときの
文字通り「とりかえし」のつかない悔しさというものを得られないんじゃないだろうか。
え?ああ、だから便利でいいのか。…いいのか?
すいません。いささか熱くなってしまった。
ゴツイ一眼レフを構えてこんなことを繰り替えしてたら
何がしかの勘違いをされたらしく、
近くにいた何組かの観光者から
記念写真を撮ってくれと頼まれた。
フフ…俺が何者かバレてしまったようだ←バカ
2002年10月28日
知られたことのない星座 > T.S.Gallery
( 前のページ : 次のページ )