翌朝、トラムでペトシーンの丘の上まで上り、 丘の尾根伝いに歩を進める。 写真右手は「飢えの壁」と呼ばれる史跡。 1360年から2年を掛けて築かれた、用途としては全く意味のない壁である。 というのもこの壁には、造ることそのものに意義があったのだ。 当時、貧困と飢餓に襲われたボヘミア国民の救済を図るべく、 時の王カレル4世が公共事業としてこの壁の建造を命じた。 私腹を肥やすためか、国民の命のためか。 同じ「公共事業」でも随分と隔たりがあるものだ。 2005年1月30日