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2007/11/14 プラハ:カフカ生家
旧市街広場の端っこ、ユダヤ人街への入り口ともなる一角。
中はカフカのミニ博物館のようになっている。
不条理な様を不条理なままに描くこの鬼才を育んだのは、
まさしくこのプラハという街そのものだったのだろう。
現代では整備されているとはいえ、それでもなお
プラハのユダヤ人街には入り組んだ路地や寂れたシナゴーグが
鬱々とした姿を晒している。
勿論、観光地として賑わってもいるけれど、往時の雰囲気が
其処此処から醸し出されてくる。
路地の影から。排水溝の歪んだ鉄枠から。
寒々しい冬にあってはなおのことだ。
「なぜ?」と問うてみるがそれは、問いそのものが間違っているのかもしれない。
迷宮を彷徨うように歩く。これもプラハの歩き方の一つ。
などと妄想に耽りながらユダヤ人街を歩いていると、
背の低い男が声を掛けてくる。
「俺、スペインから来たんだ。あんたは?」
妙に陽気な奴だ。
「カレル橋に行きたいんだけど道に迷っちゃってさ」
困った。こっちも文字通り彷徨っていたのだから
道案内など出来る筈もない。
まあいいやといいながら、しばし徘徊を共にする。
しばらくするとスペイン・シナゴーグというシナゴーグの裏手に出た。
アルハンブラ宮殿のデザインに似ていることからそう呼ばれている。
それを見るや彼は妙に喜び、カメラを手渡し「撮って撮って」と言いながら
スペイン・シナゴーグに駆け寄る。
大きく手を振ってぴょんぴょんと飛び跳ねる彼。
動くのはビデオに撮られるときであって、写真を撮るときではない。不自然だ。
まるで誰かに合図でもしているようだ。
見回せば辺りには誰もいない。嫌な予感がした。
とりあえず写真を撮ってしまおう。ここから早く離れたほうがいい。
適当に写真を撮り終え、彼にカメラを返した瞬間。―遅かった。
安っぽい黒のジャンパーを着たずんぐりむっくりの男が突如、
気配もなく歩み寄り我々に声を掛けてきた。
「おい。おまえら何をやっているんだ?」
ああ、これは。
「お前ら、闇両替をやってるんじゃないだろうな?」
間違いない。
「麻薬の取引じゃないだろうな?」
ニセ警官だ。
このずんぐりむっくりはおそらく、これから
我々にパスポートを見せろとか財布をみせろとか詰め寄ってくるわけだ。
自称スペイン人はサクラだから当然言われるがままにする。
俺も指示に従うように仕向けるために。
そして俺の財布から札をちょろまかすと。そういう手口なわけだ。
ずんぐりむっくりはポッケから何ともいえない警察バッジのようなものを取り出して見せる。
チェコ警察の身分証なんか見分けもつかないが、どうせおもちゃか何かだ。
こちらも財布に入ってる日本の図書館カードでも見せて
「俺は日本の警察官だ。プラハでの邦人のニセ警官被害を調査している。
ちょうどよかった。ご協力願いたいので財布を見せなさい」とでも言ってやりたかったが、
一度にそこまで朗々と騙れるような英語力もないし、
こちらからわざわざ財布を見せるような真似は避けたいのでそれは諦めた。
まあ、小賢しい手口とはいえ一応相手も犯罪者であるのだし
あまり余計に刺激したりしないほうが身のためでもあろう。
案の定、ずんぐりむっくりはパスポートと財布を見せるよう要求し、
自称スペイン人はホイホイと従ってみせる。
しかし私は絶対に出さないのである。
そもそも路上での身分証提示は、現行犯でもない限り任意に委ねられているのだ。
相手が本物の警官だとしてもこの対応に問題はない。
加えてこの手合いにはイタリアで一度出くわしているのだ。
二度目なだけに多少の余裕もある。
固持して様子を眺めているとなかなか面白かったりする。
サクラの自称スペイン人が
眉尻を下げ困ったような表情でこちらを見ながら眼で訴えている。
「あれ?おかしいな?出せよ、あんたも財布出せよ。」
手口が分かっているだけにちょっと笑える。
そんな顔したらグルなのがバレバレだ。役柄に徹しなさい。
ニセ警官役もサクラの財布の調べ方がおざなりだ。
早くカモの財布を手にしたいと気が焦っているのだろうか。
イタリアのニセ警官は、さも麻薬捜査っぽく見せるために
わざわざサクラの財布の臭いを嗅ぐなんていう映画くさい演出まで加えたりしたものだ。
そのあたりアドバイスしてやるべきだった。いや、しなくていいのか。
さて、まあそんな観察はいいとしてこの事態をどう打開すべきか。
実際のところ、財布は見せても構わない。
こんなこともあろうかと極小額しか財布には入れないようにしているから
多分ちょろまかしようもない。
ベルトにチェーンで繋げてあるから財布ごとトンズラというのもないだろう。
しかし相手の言いなりでは沽券に関わろうというもの。
後にプラハを訪れる邦人のためにも、こいつらには
「日本人はカモにならない」ということをここで印象付けておかねばなるまい。
どうしたものか。逡巡していると幸い辺りに人通りが出てきた。チャンスだ。
この手の連中は周囲の目を気にするものだ。
騒ぎになって本物の警官でも来ようものなら、本当に困るのはこいつらなのだから。
目立つようにとがなり声で抗弁する。
「あい はぶ のー どらっぐ!のー ちぇいんじんぐ まにー うぃず ひむ!」
そうだ。そもそもパスポートも財布も見せる必要はない。
普通に口頭で答えればいいだけのことだ。
予想外の反応に驚いたのかニセ警官が一瞬たじろぐ。もう一度怒鳴ってみせる。
「あい はぶ なっすぃんぐ とぅ どぅ うぃず どらっぐ あんど ちぇいんじんぐ まにぃぃぃ!」
通りすがりの数人がこちらの様子を窺い出した。うむ。あとはこの場を立ち去るきっかけをつくればいい。
街中でもあるし、人目があれば相手も追いかけたり暴力に及んだりということもなかろう。
ニセ警官がうろたえているうちに、こっちのペースで一気に会話を断ち切ってしまおう。
「・・・OK?えにー くえすちょんず!?」
当世風に言えば「ですが何か?」というヤツである。一瞬、空気が固まる。
相手は困って沈黙している。今だ。これ以上相手にしゃべる暇を与えてはいけない。
ここで打ち切るには、その沈黙を以って終了となるよう畳みかけねばならない。
目をしっかりと見据えながら、軽く両手を広げ肩をすくめるジェスチャーでトドメを刺す。
・・・勝った。試合終了だ。さっさと人気のある方へ逃げよう。
背中のほうから何か怒鳴り声が聞こえてきたが、それは遠吠えというやつだ。
あの場は俺が制したのだ。これ以上関わる必要はない。
足早に角を折れ、死角へと逃げ込む。
はあ。何とか無事に逃れられたが、やはりこういう目に遭うとそれなりに消耗する。
せっかくの旅情も萎えてしまい
しばらく旧市街広場のベンチで休むことにした。
まあしかし、こうした生業でもしなければ
生きていけない人がいるのもチェコの現実の一つ。
明日がよりよき日となることを願う。
2005年1月30日
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